歴史
フリーメーソンの起源
フリーメーソンの研究者は、フリーメーソンのルーツは古代パレスチナ、そしてソロモン王の神殿建設にあると主張しています。
中世ヨーロッパにおいてはメーソン(石工)たちは美しい大聖堂を石で建造した練達な職人でありました。
いってみれば彼らはギルドを構成していて、志願者たちは年季奉公をしなくてはなりませんでした。
どの建造現場にあっても、いつでも数百人の石工たちが働いていたにちがいありません。
彼らは自由に移動し、年季奉公を済ませていない者達から自分たちの地位を守るために秘密の合図と言葉を考案しました。
その合図あるいは言葉を知らない石工たちは、大聖堂の建造現場で働きたいと申し込んでも入場が許されなっかたことでしょう。
私たちもまた同様の理由から秘密の合図と言葉を持ち続けております。
近代フリーメーソンはその起源を1717年のイングランド・グランドロッジ設立に発しています。 アメリカの支部はこのグランドロッジから枝分かれしたもので、さらに世界中に支部が設立されてゆきました。
日本では
日本では1865年にイギリス人によって最初のロッジが設立され、後になって1954年に日本人によってロッジが設立されました。
フリーメーソン団体が日本へもたらされたのは、他国の場合と同様で、軍隊に付いて移動するロッジによってでした。
アイルランド・グランドロッジ傘下で第20歩兵連隊(ランカシャー・フュージリアーズ)に付随していたスフィンクスロッジNo.263ガ1864年に横浜へやって来ました。
日本にいる間にスフィンクスロッジは外国人居住者の何人かを入会させました。
彼ら新しいメーソンたちは、すでに他のロッジの会員になっていた者たちと一緒になって、イングランド・グランドロッジへロッジの設立許可を申請しました。
1865年にその申請は認められ、1866年6月26日に横浜ロッジNo.1092の最初の会合が開かれました。
1941年から1945年までの間、フリーメーソンの活動は休止状態でしたし、戦後しばらくはイングランド系のロッジひとつとスコットランド系のロッジふたつだけが活動を再開していただけでした。
駐留軍によってフリーメーソンクラブがいくつか組織化された後、フィリピン・グランドロッジが日本本土と沖縄にロッジの設立を許可し始めました。
フリーメーソン団体がはじめて日本人にも開かれたわけで、儀式の次第も日本語に翻訳されました。
現在の東京マソニックセンターの前身となった建物と土地が購入され、使用されました。
ほどなくして、もうひとつのグランドロッジのロッジが登場しました。
マサチューセッツ・グランドロッジ傘下のシニム・ロッジはかって中国の上海で活動 していたのですが、1952年に東京で活動を再開しました。
さまざまなロッジや付属団体はかなりの発展と繁栄を享受していましたが、1954年までにフィリピン・グランドロッジの許可を得てディストリクト・グランドロッジが日本に誕生しました。
日本グランドロッジの設立を検討する会議を開こうという決議がモリアヤマ・ロッジにおいて1957年初めに可決され、日本で活動していたフィリピン・グランドロッジ傘下の全ロッジに呼びかけられました。
1957年3月までに、15のロッジが同様の決議を可決し、憲章(コンスティチューション)が起草され、グランドロッジの役員が選出されました。
新しく設立された日本グランドロッジを承認して貰うために、代表団がフィリピン・グランドロッジの年次総会へ代表団が派遣されました。
公式の承認が得られるまでにはそうとう待たなくてはなりませんでしたが、独立宣言をした日本グランドロッジは新ロッジへの設立許可認証の発行や、他のグランドロッジへの承認申請を始めました。
年月を経るにつれて日本グランドロッジ傘下のロッジは20に増え、1972年には会員が4,766名になりました。 しかし、1972年以後、会員数の減少とロッジの合併という、世界中のフリーメースン大半が直面した波を日本グランドロッジもかぶり始めました。 1980年末までに、会員数は3,743名まで、ロッジの数も18まで減少しました。
現在、日本グランドロッジは世界中の正規のグランドロッジのほとんどである132のグランドロッジから承認されています。 日本グランドロッジと傘下のロッジではさまざまな慈善活動や地域活動を個々に、あるいは共同で行ってきました。 災害救援募金活動、グランドロッジ視力援助プログラム、車椅子運動、日本グランドロッジ主催の年次子供祭り、などです。 この面での付属団体の活動も活発で、 シュラインの肢体不自由児支援プログラム、 ナイトテンプラーの‘目の財団’スコティッシュライトの教育支援プログラムとアフェイジア・プログラム(失語症他の言語障害の治療支援活動)などが挙げられます。
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